ZEEBRAとKJの、あの「ビーフ」20年後に思うこと

HIPHOP

私が、このブログを始めた当初に書いた記事▼

【HIPHOP】みんな覚えてる?KjとZeebraのビーフ?ぽいやつ【BEEF】
ネットを徘徊してて、そういや昔、zeebraがDragon ashのKjをdisった件があったよなーと思って、その件についていろいろ調べてみたのでまとめてみます。ひとまずKjとZeebraを紹介Kj(降谷健志)日本を代表するといっても過言で

これに最近、コメントがありました。

はじめまして。
降谷氏が明言したとありますが、発言の出典を教えていただけないでしょうか?
ラップといえばDA・YO・NEのイメージが強く残っていた当時、Dragon Ashを通じてラップ・ヒップホップのカッコ良さに初めて気付き、興味を抱いた人が多かったはずです。
また、その後の日本語ラップブームのキッカケは、やはりDragon Ashの活躍があってこそだったと思います。ZEEBRA氏の功績は自分も評価していますが、あの一件でZEEBRA及び日本のヒップホップシーンが嫌いになったのを覚えています。
その後のブームの退潮がZEEBRA氏の責任だとは思いませんが、自分も一般の多くの人のようにヒップホップを聴かなくなってしまいました。
フリースタイルダンジョンが流行ったことはよいことだと思いますが、結局自分の中でヒップホップへの興味が復活することはありませんでした。
Dragon Ashのオリジナリティーと言いますが、そもそも日本のヒップホップ自体がしばしば米ヒップホップのトレースでしかないと見ることは、決してただ意地悪なだけの見方ではないはずです。
くだらないことを長々と書き込んで失礼しました。

これを読んでコメントでは書ききれない程の思いがこみ上げ、この記事をアンサーと言うことで返信にさせてもらおうと思います。一応その旨コメントで返事してあります。

Greatful Days feat ACO,ZEEBRA

Dragonash /grateful days

この曲、私的にですが、日本のHIPHOP、ロックに双方にとって革命とも呼べる楽曲だと思っています。
当時のロック、ミクスチャーの中で頭角を現し寵児となっていた「Dragon Ash」
かたやHIPHOPの急先鋒からメジャーへと舞台を移しHIPHOPの広告塔となっていた「ZEEBRA」
私たちの世代に「悪そうなやつは大体友達」のパンチラインを知らないやつはいないと言っていいほど、双方のジャンル、特にお互いのジャンルへ明るくなかったリスナーへの波及はすごかったように記憶しています。

言ってしまえば、この曲まではHIPHOPというジャンルは「イメージ」としての存在しかなかった。
例えば、チーマーと呼ばれるヤンキー・不良の延長線上のような「イメージ」
この曲に先駆けてヒットしていた「DA.YO.NE」のEAST ENDや「今夜はブギーバック」のスチャダラパーのような明るいポップスのような「イメージ」
といったイメージ先行のジャンルでした。

そんな時代に巻き起こったのが、上記の「ビーフ」っぽいやつ。

私は今振り返ると、このビーフがHIPHOPが文化であることを世に知らしめたのではないかなと思っています。
HIPHOPをあまり知らない方は、何故「ZEEBRA」が「KJ」を口撃したのか意味が分からないと感じた方も多かったはずです。
私は必ずしも「Kj」がパクったとは考えていません。その理由は後述します。

GreatFul Days発売の翌年、「SUMMER TRIBE」の発売から対立が表面化しますが、おそらくパクられてると感じた背景には音楽をアイデンティティと捉える向きの強いHIPHOP独自の文化があると思います。
さらに、まだまだ黎明期ともいえる日本のHIPHOPシーン。
あのままパクられている(と感じた)状況を放置したらシーンの存続すら危ないと感じたかもしれません。
それほどHIPHOPには音楽=アイデンティティという考えが根付いています。

一方的に責め立てたZEEBRAも悪いという意見もありますが、「I LOVE HIPHOP」とまで歌っておいて、ハッキリとしたアンサーを出さなかったKJ側もHIPHOPを「イメージ」としてしかとらえていなかったと考えざるをえないかなと思います。

このように”HIPHOP的”に主張したZEEBRA氏に対し”HIHPHOP的”対応ができなかったKj氏、この対応の違いを通してHIPHOPには文化があると見る傾向が強くなったと感じています。

意味のあった「ビーフ」っぽいの

確かに対立はしましたが結果的に、お互い”実”となるビーフだったように今は感じています。
ZEEBRA氏はHIPHOPを主張しHIPHOPが文化であることを示すことができ、現在に至るまでHIPHOPの広告塔としてフリースタイルバトルの流行など、その第一線で活躍されています。

Kj氏も、より研ぎ澄まされた自分の路線を見出すことができたような気がします。
この騒動の翌年に発売した「Deep Impact」がいい例です。
HIPHOPの重鎮とも言えるラッパ我リヤを迎えながらも、しっかりとロック、ミクスチャーとしてのアプローチを確立しています。

オリジナルとパクリ

若かりし頃はパクリだ、セルアウトだ、と他ジャンルは当然のごとく、同じジャンルの中でも音楽を善悪で判断しがちでした。
しかし今は、こういったパクリやオリジナルと言った議論に答えを出すのは研究家でも非常に難しいのではないかと考えています。

例えば人種と似たような感じ。
2人の白人の方を連れてきて、どちらがフランス人で、どちらがアメリカ人でしょう?って言われてもわかる人にしかわからない。
仮に顔の系統で”ぽい”という感覚だけで判断しても、その白人が自分のアイデンティティをどこの国に持っているかなんてわからないですよね。
音楽も、まるで一緒なんじゃないかなと私は思います。
似てるけど全くの別物だったり。 曲を作った人の想いや感情は、聴く側の解釈だけで判断できるものじゃない。上記で書いたKj氏の曲をパクリと思わない理由も、この為です。

これに同じ音階、リズムという枠の中で作るんだから、万に一つ似ちゃうこともあるって考えるのが普通じゃないかなと思います。ましてや子供の頃の記憶に残ってたメロディーや、たまたま前を通った薬局で流れてたフレーズが脳裏に残ってて何年後かに自然と出てきたらパクリの自覚すらできない。
逆にそれは、ある意味才能だろと…

トレースという言葉に関しても逆にルーツの無い音楽はないのだろうか?とも感じます。
最近「3連符」を多用したラップがありますが、これもトレースと言うのでしょうか?
ただリズムが3連符なだけで?

私はトレースが広範囲すぎて断言するのもおこがましいですが、曲には作った者の影が投影されているべきと思っているのでパクリ、トレースは基本、存在していないと考えています。

ただ、あからさまに意図的に書き写したような曲はリスナーも馬鹿じゃないんで勝手に淘汰されるとも思っています。

最後に

とりとめのない文章になってしまいましたが、とりあえず、あの「ビーフ」は既に過去のことで今のZEEBRA氏もKj氏も良い曲をいっぱい作ってくれてるので良しとしてもいいのではないかと思います!
そして音楽の好き嫌いはあっても良いと思うけど、音楽を善悪で判断せず色んなジャンルの色んな曲を聴いてみることをおすすめして締めにします。

Bring It Back
降谷建志「Playground」ミュージック・ビデオ YouTube Ver.

ちゃんと返事になってるかな。

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